北海道で農家を志し故郷の福岡で就農 安全安心な野菜を食卓へ届けたい
福岡市東区勝馬 IN THE FARM 浜野貴志さん(38歳)
今回は福岡市東区勝馬で、農薬・化学肥料を使わない野菜作りに取り組んでいる浜野貴志さんにインタビューしました。浜野さんは2018年から同地区にある「百姓園 (福岡市東区勝馬)」で農業をスタート。青果市場で仲卸の仕事をしながら野菜作りを学び、昨年9月に「IN THE FARM」として独立しました。今回は浜野さんに、農業との出会い、野菜作りのこだわりやこれからの目標について聞きました。
(令和5年1月取材)
農業とは無縁のサッカー少年だった子ども時代
「家族も親せきも農業とは無縁で、自分が農業をするなんて思ってもいませんでした」と話す浜野さん。学校での農業体験なども「記憶にないですね・・・」と話すほど、農業とは縁がない子ども時代を過ごしました。サッカーが大好きで、小中学校時代はサッカー漬けの毎日。「平日も土日もボールを蹴っていましたね。運動が得意で、勉強が苦手な子どもでした」と笑いながら話します。高校卒業後は東京の大学に進学し就職。3年ほどたった頃、北海道出身の友人に誘われ札幌へ移住しました。「遊びに行く感覚で東京を出て、気が付けば6~7年住んでいました」と当時を振り返ります。 札幌では和食の飲食店で調理を担当。契約農家から直接野菜を仕入れる店だったこともあり、農家の方と交流する中で、少しずつ野菜に 興味を持ち始めました。
人生を変えた1つのトマト
農業とは無縁だった浜野さんが農家を志すきっかけになったのは、1つのトマトとの出会い。ニセコ町の農場「LaLaLa Farm」で食べた採れたてのトマトの美味しさに感動し「農業をやりたい!」と農家になることを決めたそうです。「初めは1つのトマトでしたが、農場で食べた野菜はどれも味が濃く美味しくて。人に感動を与えられるものを自分で作れるなんて、農業って凄いことだなと思ったんです」と当時の思いを話します。
就農への思いが固まった浜野さ んは、「LaLaLa Farm」の服部さんに頼み込み、1シーズンの期限付きで、週の半分は飲食店で働き、残りは泊まり込みで野菜作りを学びました。研修後は、「農業をするなら地元でやりたい」と考え福岡へ帰郷。初めは飲食店に勤務していましたが、「農業に近い業界で働いた方がいいのでは」と友人に勧められ青果市場で働き始め、時を同じく志賀島で「百姓園」を営む北本雅義さんを紹介され農業研修がスタート。4年ほど「百姓園」で農業を学び、昨年9月に北本さんから農地を借り独立。現在に至ります。
農薬や化学肥料を使わない 「自然と共生できる農業」めざす
農家として本格的なスタートを切った浜野さん。「志賀島の自然と共生できる農業」をめざし、8反の農地で農薬や化学肥料を使わない野菜作りに取り組んでいます。自分の栽培方法に合った品種を選ぶため、昨冬は100種類以上の野菜を栽培しました。「今春は、トマトやケール、ビーツ、レタス系など様々な野菜を少しずつ栽培する予定です。果樹もレモンやイチジク、ブルーベリーを植える準備をしています。収穫まで数年かかるのでしっかりと 管理したいです」と話します。
害虫対策は、虫よけネットやコンパニオンプランツ(作物のそばに植 えると病気や害虫の被害にあいにくくなる、生育がよくなる等の作用がある植物)を活用しています。水はミネラル豊富な志賀島の地下水を使用。肥料は有機的なものを使っているので、農作物が自然の力でゆっくり育つそうです。「食べることが好きなので、自分の大切な人にも安全安心なものを食べてほしいと思っています。昨年12月に子どもが生まれたので、その思いはより強くなりました」と話します。
お世話になった人たちへ恩返しできる農家になりたい
独立して半年。当面の目標は確実な農地の管理だそうです。また、新規就農者向けの補助金制度があるうちに収入を安定させることも、新しい家族ができた浜野さんには大きな目標です。「子どもができたら、妻と協力して子育てしたいと思ったことが、独立した理由の一つでもあります。食に興味がある子に育ってほしいですね。子どもの成長を励みに、農業を精一杯頑張りたいです」と話します。また、自身の環境については、「北本さんという先輩が身近にいて、何でも相談できることはとても心強いしありがたい」と感じている浜野さん。「志賀島の皆さんに認めてもらえる農家になって、 北本さんをはじめ、今までお世話に なった人たちに恩を返していきたいです」と力強く話してくれました。
当JAの農産物直売所「愛菜市場」にも出荷しています。自然豊かな志賀島で育ったこだわりの野菜をぜひご賞味ください。※季節によって出荷量が異なります。 予めご了承ください。