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地域農業を守るため米作りを受託 経験と想いを次世代へ伝えていきたい

福岡市東区青葉・阿部和幸さん(59)

 当JA管内で米作りが盛んな多々良地区。阿部さんは、不動産管理会社と介護付き有料老人ホームを経営する傍ら、米と野菜を生産しています。また、水稲の農作業を個人で引き受け、和白小学校と三苫小学校で稲作指導をする「和白受託部会」のメンバーとしても活躍しています。今回は、地元をこよなく愛し、地域農業を支える阿部さんに、就農までの経緯や農作業受託を始めたきっかけ、地域農業への想いを伺いました。

農業をする父が「かっこよかった」 会社員を経て38歳で就農

 農家の長男に生まれた阿部さん。幼少期から家族が農作業する田んぼや畑で遊んだり、ときに手伝ったりしながら自然の中で育ちました。「農業する父(照敏さん)が何よりかっこよかった。農作業を終え、夕陽を浴びて農機を走らせる姿を見て、子ども心に『親父かっこいいなぁ、あんな風になりたいなぁ』と憧れていました」と当時の想いを口にします。将来は父親のような農家になりたいと考えていた阿部さん。農作業の手伝いで特に印象深いのは、小学3年生の時に父親に支えてもらいながら手押しの耕運機を初めて操作したことです。「手押しの耕運機はとても大きく操作に苦労しましたが、父は自分を子ども扱いしませんでした。当時は山ほど失敗し、大変なこともありましたが、幼い時から農機の使い方や農作業を教えてくれたことに今は感謝しています」と振り返ります。大きな農機も一人で操作できるようになると、父親が同型の田植機を2台用意してくれて、一緒に作業したりしたそうです。「互いを観察しながら農作業して、父とは親子というよりも兄弟みたいな関係でしたね」と当時を懐かしがっています。若いうちは好きなことをしようと、すぐには就農せず、会社勤めを始めた阿部さん。農繁期には米作りを手伝いながら、興味があったコンピューター関係や電気工事の仕事に就きました。厳しくもやりがいがあり、「最後までやろうと決めたら乗り越えられること」「諦めないことの大切さ」を学んだそうです。当時習得した技術は今も電灯装置や雨水を貯めるタンクを作るなど、農作業の効率化に活かしています。
 就農への転機は大病を患った38歳の時。自分は周囲の人々の支えで生かされていると強く感じ、地域の方や先祖、生まれ育った土地を大切にしたいと心境が変化しました。ゆくゆくは農業を継ぐつもりでいましたが、仕事を辞め父親に「跡を継ぎたい」と話し、予定より少し早く農業の道を歩み始めました。それから約20年。夏場は朝4時に家を出て、田んぼの巡回や管理作業を行った後、自分の畑で野菜を収穫します。日中は気温が高いため、事務所で自営の仕事を行い、日が落ちた頃から再び農作業をすることもあります。畑での収穫量が多い時は、獲れたての野菜を持って近所の人へ配るそうです。「野菜を持って訪ねると、人との交流が増え、いろいろな話が聞けて楽しいです」と阿部さん。人付き合いの中から学ぶことは多く、会社に勤めていた頃よりも人間関係の大切さを感じるようになりました。

地域農業を守るため「作りたいけれど作れない」農地の米作りを受託

 阿部さんは現在、地元を中心とした水稲の農作業受託9件と、自らの農地を合わせた約2ヘクタールをほぼ一人で管理。阿部さんが水稲の農作業受託に取り組み始めたきっかけは、『もう自分では作れない』という人の声や、何も作られていない農地を見かけたことでした。『農作業をできる人がいない』『農機がなくて作業できない』という理由で田畑を手放す人が増えると、徐々に農地が減り農業の衰退に繋がります。しかし、誰かが代わりに農作業を担うことで、農地を減らさないようにできるのではと思い、地域農業の維持継続のために少しずつ引き受けるようになりました。また、今後農地が増えた時に備え、体力維持も意識して農作業に励んでいるそうです。

自らの技術と地域農業への想いを次世代へ

 「自営の仕事も頑張りつつ、農業では作業する農地をもっと増やし、趣味の釣りにも時間を割きたい」とエネルギッシュな目標を掲げる阿部さん。最近は、地域農業を次世代に繋ぐことも意識し始めているそうです。今年から、7年間何も作られていなかった田んぼを引き受け、4月末から5月初めにかけて次男の貴大さん、三男の大輝さんと一緒に埋まった水路(約300m)を掘り起こし、田植えが出来る状態にまで復旧させました。今回の農作業受託を引き受ける大きな原動力になったのは貴大さんの存在だったそうです。「相談したら『親父はやりたいんでしょ?』と後押ししてくれました。農作業を快く引き受け、仕事の休みを返上して筋肉痛になりながらも頑張ってくれて嬉しかったし感謝しています」と顔をほころばせます。「父が83歳で亡くなったので、自分もそのくらいの人生と仮定したらあと20年くらい。あと10年は元気に動けると思いますが、その先は若い世代に担ってもらいたいと思っています。幸い貴大が農業を継ぐと言ってくれているので、自分が父から教わったこと、農業に対する思いや技術を可能な限り伝えたいです」と、『地域農業の維持・継続』のたすきを次世代へ繋いでいく決意を語ってくれました。
(令和6年5月取材)