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畑を見ると種を播きたくなる 体が続く限り農業を楽しみたい

今回は三苫地区の堺桂さんにインタビューしました。桂さんは大学卒業後に就農し、81歳の今も三苫と塩浜の畑でイチゴや野菜作りに励んでいます。桂さんから就農までの道のりや農業の魅力、地域農業への思いについて伺いました。

父から受け継いだ農業への探求心

桂さんは農家の長男として生まれ、幼い頃から農業を継ぐことを意識して育ちました。市内の農業高校卒業後、宮崎大学農学部に進み大学卒業と同時に就農。イチゴ栽培を中心に米や野菜の栽培に取り組みました。父の泰作さんは三苫のイチゴ栽培の第一人者であり、タマネギやイモ類の栽培が主流だった時代に、いち早く洋菜(レタス、セロリ、ブロッコリー)を栽培するなど、新しいことにも積極的な方だったそうです。「私は親父ほど勉強熱心ではないですよ」と笑いながらも、人とは違うものを作りたいと多品目栽培に取り組む桂さんの姿は、泰作さんから受け継がれた探求心を感じさせます。

「三苫のイチゴ」と共に歩んだ農業人生

桂さんの長い農業人生の中で最も力を入れてきた作物はイチゴ。高値で取引されて作り甲斐があったといいます。三苫地区は大正15年からイチゴの栽培が始まった地域で、先進の栽培技術を学ぶために、他県から農家が泊まり込みで視察に来たりするほどの一大産地でした。桂さんが就農した昭和40年代、三苫では小型トンネル栽培から竹筋ハウス栽培に移行し、クリスマスシーズンの出荷を見据えた栽培管理が始まった時代。若手農家が中心となり、より新しいハウス技術や電照などの栽培技術を熱心に学び取り入れていったそうです。「皆の努力のおかげで三苫のイチゴ栽培はさらに発展しました」と変遷を語ります。最盛期は桂さん夫婦と母、弟の4人で五反の畑で栽培し、多い時は一日1200パック(1パック約300g)ほど出荷していたそうです。「当時は毎日親戚3軒が合同で、トラックいっぱいにイチゴを積んで北九州の市場へ出荷していました。母と弟は朝から夕方までイチゴを摘み、私たち夫婦は一日中パック詰めをしていました」と当時を振り返ります。
 現在はイチゴの共販出荷を息子の泰之さんに任せ、桂さんは多種多様な野菜を作る傍ら個人出荷用のイチゴ栽培に励んでいます。化学肥料を使わない昔ながらの土づくりと、完熟イチゴの収穫がこだわりです。「桂さんのイチゴが一番美味しい」とファンも多く、出荷するとすぐに売れてしまうそうです。「最近は腰を落としての農作業が大変になってきましたが、妻に支えてもらい何とか続けています」と笑顔を見せます。

お客さんのためにも体が動く限りは農業を続けたい

 種を播いて収穫する喜びやお客さんの反応が農業のやりがいに繋がっている桂さん。特に直売所では、お客さんが自分の野菜を選んで買ってくれる姿を目にすると励みになり、「待っている人のためにも続けよう」と力がわくそうです。一方で、三苫地区の農地が減少し宅地に変わっていく現状には寂しさを感じています。かつて農業が盛んだった時代を経験しているからこそ、若い世代にも農業に取り組んでほしいと願っているそうです。「農地が空いていれば種を播きたくなり、種や苗を見ると『次は何を植えようか』と思いを巡らせてしまう」と語る桂さん。「自分のペースで作業できることも農業の魅力。体が動く限りは農業を続けていきたいです」とにこやかに話します。

当JAの「愛菜市場」や、「新宮町農産物直販所ひとまるの里」で販売しています。農業一筋の桂さんが丹精込めて作った農産物をぜひ味わってみてください!

(令和6年11月取材)

圃場DATA
露地畑:約20アール
ハウス:2棟(350㎡)
出荷品種:イチゴ、セロリ、ブロッコリー、サツマイモ、サトイモ、ダイコン、ラディッシュ、カブ、ニンジン、ラッキョウ、ニンニク、芽キャベツ等