志賀島のイチゴ農家の想いを引き継ぎ就農 さらなる収量アップをめざす
福岡市東区志賀島 萩尾宗大さん(40歳)・美穂さん(36歳)
今回は就農5年目の萩尾宗大さんにインタビューしました。萩尾さんは志賀島でイチゴを栽培していた田中晴美さんの畑を引き継ぐために会社を辞め就農。1年目は晴美さんに栽培方法を教わりながらイチゴ栽培をスタートしました。2年目以降は妻の美穂さんやご両親、以前から晴美さんの畑で栽培をサポートしていた皆さんとともにイチゴ(あまおう)の栽培励んでいます。
(令和4年10月取材)
小学校の頃の夢だった「自分で何かをする人」を実現
福岡県出身の宗大さんと佐賀県出身の美穂さん。2人とも就農するまで農業経験はなかったものの、親せきが米農家だったり、同級生の家族が農家だったりと、農業を身近に感じる環境で育ちました。宗大さんの小学校の頃の夢は「自分で何かをする人」だったそうで、「当時は何をしたいのか漠然としていましたが、就農した今思えば、小学校の文集に書いた夢が実現したなと思います」と話します。
宗大さんの前職はサービス業。24時間営業の店舗でシフト制の勤務だったため、生活のリズムが不規則でした。専業主婦だった美穂さんも、「夜寝ていても、帰宅した音で起きてしまうことがありました」と大変だった当時を振り返ります。転勤が多く、家族のためにも定住して仕事がしたいと考えていた矢先、志賀島のイチゴ農家の田中晴美さんが後継者を探していると、晴美さんのお客さんだった親せきから聞き就農を決意。家族や親せきと話し合い、2017年に就農しました。1年目は晴美さんの畑を手伝いながら栽培方法を教わり、2年目から本格的に栽培を開始。作付面積12アール(ハウス5棟)からスタートし、現在は19.8アール(ハウス8棟)でイチゴを栽培しています。
晴美さんの想いを引き継ぎ就農
就農前の面談で、「畑が竹林に変わっていくことが悲しい」という晴美さんの言葉を聞いて、「後継ぎになりたいと強く思った」という宗大さん。就農後は、栽培技術やハウス、販売ルート等の全てを晴美さんから引き継ぎました。一番心配していたのは既存客の反応で、「何もかもお膳立てしてもらっているからこそ、初出荷が一番怖かった」と当時を振り返ります。
晴美さんは今でもお客さんと萩尾さん夫妻をつないでくれたり、イチゴを買ってくれたりと協力してくれるそうです。宗大さんも、晴美さんの家庭菜園の消毒をするなどして交流が続いています。
就農して5年目。実のなり方や天気など、自分たちでコントロールできないところに大変さを感じる一方で、リピーターがついたり、以前購入してくれた人が友人知人に贈ってくれたり勧めてくれたりと、やりがいを感じることも増えてきたそうです。
就農して得られた家族との時間
就農後、一番変わったことは家族との時間が増えたことで、お子さんとの時間が増えたことが何よりも嬉しいという萩尾さん夫妻。「休日に釣りに行くことがあるんですが、最近は子どもと一緒に行くことがあるんですよ」と宗大さんは笑顔で話します。就農時は未就学児だったお子さんも小学生になり、転校する心配もなく、以前より元気になったと感じるそうです。美穂さんは専業主婦から農業の道へ入り、忙しくなった反面、宗大さんと協力して子育てができるようになったと話します。作業時間はお子さんのスケジュールに合わせ、家庭と農業を両立できるよう工夫しています。休日は、家族で過ごす以外に、友人と会ったり、ライブに行ったりしてリフレッシュしているといいます。
また、就農前よりも生活リズムが整ったことで、今までよりも健康になったと感じているそうです。宗大さんは、「体重も増えたけれど風邪を全くひかなくなりました」と笑いながら話します。
今後の課題は収量アップと新たな人材の確保
「今後はハウスを8棟から10棟に増やすことが目標」と話す萩尾さん。「私たちのイチゴは苗の間隔を広くとって育てるので、反当りの収量目標は3.5トン。さらにハウスを増やして、そこで育てたイチゴを販売するためには、今まで以上に管理や収穫に人や時間が必要になります。収量アップとともに、『農業をしてみたい』という新しい人材の確保が課題だと思います」と、これからについて話してくれました。
萩尾さんが育てたイチゴは、農産物直売所「愛菜市場」やインターネットで購入できます。(販売時期は天候等により異なります)