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先輩農家の応援を支えに、父から学んだ箱崎の農業を受け継いでいきたい

福岡市東区箱崎・多田僚志朗さん(40)

 今回は、東区箱崎の若手農家である多田僚志朗さんにインタビューしました。僚志朗さんは就農10年目。約3年前に「多田」姓へ改姓し、箱崎地区の農業文化を受け継ぐ野菜作りに取り組んでいます。今回は就農までの経緯や今後の展望などを伺いました。

農業とは無縁の子ども時代 サラリーマンを経て就農

 三兄弟の末っ子に生まれた僚志朗さん。父親の影響で小学生から高校生まで根っからの野球少年でした。「実家は両親ともに非農家。農業とは無縁で、子どもの頃を振り返っても、そう言えば祖母が畑と田んぼをしていたな…と思い出す程度です。まさか自分が農家になるとは想像もしていませんでした」と笑います。大学卒業後、一般企業に就職し、福岡市内で働いていた時に美代子さんと知り合い29歳で結婚しました。僚志朗さんが31歳の時、当時大病を患っていた義父の利秋さんから「一緒に住んでほしい」と声を掛けられたことが就農の転機となりました。「同居には賛成でしたが、当時の職場である北九州へ通い続けるのは難しい。色々と考えているうちに『父の農業を継ごう』と決めました」と思い返します。

知識ゼロからの野菜作り 限られた時間で父から学んだ農業

 サラリーマンから一転、農業の世界に飛び込んだ僚志朗さん。利秋さんに農作業を教わりながら野菜作りを学びました。初めは覚えることが多く、ついていくだけで精一杯。「父と一緒に作業できたのは半年くらいでしたが、トラクターの運転や畑のすき方など、農業の基本的なことをしっかりと教えてもらいました」と当時を振り返ります。農業について知識はゼロからのスタートでしたが、就農してみると農業という職業は、自分が想像していたイメージと違っていたそうです。「就農には前向きでしたが、今まで野菜なんて作ったことがなかったので、色々大変なんじゃないか、自分に作れるのかという漠然とした不安がありました。しかし、父から教わり、家族や周囲にサポートしてもらいながら実際に野菜を育てる中で、栽培の大変さとやりがいを感じ始め、当初の不安は徐々に消えていきました」と話します。働き方も、サラリーマン時代は深夜まで働いて家族との時間が取れないこともありましたが、就農後は2人のお子さんと過ごすじかんも多く取れるようになり、「今は娘の登校時間に一緒に家を出て、夕方まで畑で農作業するという一日。サラリーマン時代に比べると、時間にゆとりを感じています」と笑顔を見せます。

「箱崎そ菜」の名にふさわしい野菜を作りたい

 農業の魅力は、美味しい野菜を一番初めに口にすることができることだそうです。「自分たちで作った野菜が美味しくでき、家族で食べられるというのは大きな魅力だと思っています」と話します。一方で、売れる野菜を作る難しさも日々感じています。僚志朗さんが農業を営む箱崎地区は、昔から「箱崎そ菜」と呼ばれるほど軟弱野菜の生産が盛んな地域。その名にふさわしい野菜を作るために、農業の先輩から助言をもらいながら農業に取り組む日々です。「特に軟弱野菜は見た目が重要なので、病害虫対策は一番苦労しています。昔から箱崎の野菜は綺麗なイメージもあるので、その基準を満たす野菜が作れるよう管理を徹底していきたいです」と意気込みを話します。

先輩農家の助けに感謝し、夫婦で力を合わせて安定生産をめざしたい

 夫婦で協力しながら約1.5反の畑で野菜づくりに取り組む僚志朗さん。農業の先輩方に助けてもらいながら、「箱崎そ菜」の伝統を守るため、コマツナ、ミズナ、ホウレンソウ、シュンギクのほか、季節野菜を生産しています。今後の目標は「ハウスのフル活用」と「野菜の安定生産」。「ハウス栽培と露地栽培をしていますが、今はハウスをフル活用できていません。難しいことですが、途切れなく野菜を作ることが理想なので、父が遺してくれた農地を十分に活用した農業経営をめざしたいです。また、夫婦2人での農業なので、少量多品種の生産を行い、特にコマツナ、ミズナ、シュンギクなど箱崎地区で昔から作られてきた野菜は、より力を入れて作り、市場出荷できればと考えています」と今後の抱負を力強く話してくれました。
(令和6年1月取材)

多田さん夫婦が育てた野菜は、義母の良子さんの名前で愛菜市場でも販売しています。朝採れの新鮮な野菜を出荷していますので、ぜひ手に取ってみてください。
※野菜の種類や出荷量は季節により異なります。予めご了承ください。